最近いろいろ変わってきました。雑誌も本も、そして旅も。

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学生の頃に、もっと本を読んでおけばと思ったことは何度もあります。何も考えずに一日を過ごしていたのですから、なんと平和な日々だったことかと自分でも呆れます。図書室にある本も、親の書棚の本もいつか読むかもしれないと思っていたのに、実は関心がなかった。ところが最近になって、もっとゆっくり司馬遼太郎の世界に浸りたいし、日本の古典文学も読み返したいと思うようになりました。これは残された時間に何をしたいかが、見えてきたことになるのかもしれません。

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雑誌大好き、女性誌創刊号は必ず買っていた頃

新しい雑誌には、新しい匂いがしていました。他所とは違うものを創るという勢いが、写真や構成やモデルさんや特集に現れ、個性を競うように創刊されていた時期がありました。

中学2年生で「私の部屋」に出会い、3年生の時から「クロワッサン」や「anan」の世界に憧れ始めた私は、その後に創刊された女性誌の創刊号はほぼ全てを購入していました。素人評論家らしく、編集長が変わって内容が変わっちゃたんだよねとか、紙質が落ちたなとか、都度コメントを求められたら応えられるほどよく読み込んでいました。読み返した時に、広告コピーの隅々の小さな文字までが頭に入っていましたから、本当に大好きだったのでしょう。バランスを取るように、文藝春秋や月間現代、週刊ポストなどの総合誌も中学生からの愛読でした。
雑誌には不景気の波が来やすく、随分と編集内容が変化して今に至っているものもあります。それでも浅く広く最先端の情報を得るのに、雑誌は欠かせませんでした。

読みたい雑誌がないと感じた頃、着たい服がわからなくなった

読者モデルが使われるようになってきた頃から、雑誌を買う頻度が減りました。持っていたものも全て処分しようと思った時に、どうしても捨てられないページだけを残してファイリング。他の人が見てもどこがいいのかわからないような写真でしょうが、服の質感や肌触りまで感じられるようなものが残っているようです。

それからしばらくは生活全般をフォローするような雑誌に移り、食事や健康などの面で、身体にいいものを取り入れるための参考書のように選ぶようになりました。雑誌のジャンルにヘルスケアが増えていった頃でもありますね。そこには漢方やヨガやアロマなど、趣味にも資格にもなりそうなものも多く、同世代の資格保持者がぐんぐんと増えた頃でもありました。

雑誌には注目されている学者さんや俳優さんなど、多くの人物がインタビューされているのも魅力です。だんだん変わってきた雑誌の選び方に、誰が特集されているのかという点も加わり、同じ雑誌を買い続けないようになってきました。

自分がどうなりたいかが、選ぶものでわかるようになる

例えば、女優の樹木希林さんの最後の作品は茶道の先生役でした。それまでは樹木希林さんが出ているからと雑誌や本を手にしたことはありません。自分の体調が悪くなっていく中で、どう役と向き合っていったのだろう、お茶を習ったことがない二人の女優がどう演じようとしたのだろう。二人の魅力に和のしつらえが加わって、しばらくは捨てられそうにありません。

関心ごとが人物になっていて、どの雑誌だからではなさそうです。

このコロナ渦で、これから何を読んで、どこに旅しようかと考えました。すると、今までこだわりなく人に合わせて全国各地に行きました。でもこれからは明確な目的やテーマを持とうと思えてきました。司馬遼太郎の観た風景を歩いみるなんて、つい半年前までは考えても見なかったことです。それは父が最後に読んでいた本でもあり、憧れていた世界。そんな旅に早く出られますようにと願うばかり。でもその前に、ちょっと読んでおかないといけませんね。